「画鬼・暁斎展 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル」2015.6.27~9.6【三菱一号館美術館】
《前期》「狂っていたのは、俺か、時代か?」6.27~8.2
《後期》「俺にゃ日本は狭すぎる!」8.4~9.6

暁斎の作品としてインパクトのある「鳥獣戯画 猫又と狸」は、明治期の作品。展示されている実物を見て驚いた。なんと下書きとして描いたものを張り合わせて1つの作品にしているのだとか。時代を風刺するものや、蛙や骸骨が生き生きと描かれた戯画。暁斎の代名詞ともいえる才気走ったこれらの作品は、描かれた年代をよくよく確認すると、幕末から明治初期のものだ。伝統から抜け出すパンクロックのような表現は、彼の生きた、天地がひっくり返るような時勢においては、むしろあたりまえの表現なのかもしれない。江戸時代に、17歳で描いた「毘沙門天之図」に見たのは、その巧みさと天才少年ぶり。そして、57歳の「うずくまる猿図」に見たのは、明治の時代になって狩野派の後継者として請われた才能と、生涯絵師として生きた姿だった。変革と伝統の狭間を行き交いながらも、男は、画家ではなく絵師として生きたのだ。
お雇い外国人として1887(明治10)年に来日したジョサイア・コンドルは、まさにこの展覧会が開催されている三菱1号館美術館のほか、鹿鳴館や上野博物館など様々な重要な建物を設計した。あらゆる日本文化を愛し研究したコンドルは、29歳の時に、50歳の暁斎時に弟子入り。本展では、その師弟関係の親密さをうかがわせる資料がいくつも展示されている。コンドルのために制作した「大和美人図屏風」は、日本の文化が余すところなく描きこまれ、絵師である暁斎の日本画の技術を尽くして描いたもの。6か月もかけて制作したその一部始終を、コンドルが記し残しているのだという。
暁斎の画日記に登場しているコンドル。あまりに頻繁にコンドルが登場するため、描くのが面倒になったのか、ハンコにされてしまっているほどだ。そして、暁斎は、コンドルに手を取られながら亡くなった。暁斎にとって、愛弟子コンドルは、どんな存在だったのだろう。鱗の数まで正確に数えて鯉を描く、最後の江戸の絵師。彼が文化の真髄を伝えたのは、英国人の弟子だった。
最後の展示室の「横たわる美人に猫図」「美人観蛙戯図」の眼差しがいい。暁斎は動物が好きだった…それは、絵が伝えてくれた。

*********************
東京都千代田区丸の内2-6-2
三菱一号館美術館
http://mimt.jp/kyosai
