開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺 ― 百花繚乱 御所ゆかりの絵画 ―」2025.1.21~3.16【東京国立博物館】
平安初期に嵯峨天皇が在位中に離宮嵯峨院を造営したことにはじまり、“嵯峨御所”とも称される大覚寺は、歴代天皇や皇族が住持した門跡寺院でもある。
空海のよき理解者でもあった嵯峨天皇は、旱魃や疫病の流行に際して般若心経を書写し、五大明王を信仰しはじめたという。その後、貞観18(876)年に皇女の正子内親王の願いにより寺院に改められ、大覚寺が開創。この開創から令和8(2026)年に1150年を迎えることを記念して開催されるのが本展だ。
展示室には国宝や重要文化財がずらり。平安時代後期の傑作である「五大明王像」が並び、鎌倉時代の「後宇多天皇宸翰 弘法大師伝」や「後宇多天皇宸翰 御手印遺告」をはじめとする貴重な書を目の当たりにして驚きながら展示室を進む戸、代々の清和源氏に継承された太刀「薄緑〈膝切〉」と「鬼切丸〈髭切〉」の前には人々が並ぶ。

鎌倉時代にはこの地で院政が敷かれたという大覚寺。安土桃山時代から江戸時代には御所の一部が移築されているなど、歴史の趨勢とともにあった大覚寺ならではの貴重な建築に触れることができるのも本展の魅力だ。

大覚寺の宸殿(重要文化財)は、天皇に入内した二代将軍徳川秀忠の娘、東福門院和子が女御御殿として使用していた建物だという。その「牡丹の間」と「紅梅の間」を飾るのはいずれも重要文化財の「牡丹図」と「紅白梅図」であり、狩野山楽の代表作。

狩野山楽は、豊臣秀吉に仕えた木村永光の子であり、秀吉の推挙によって狩野永徳の門人となった。徳川幕府成立により、狩野探幽らが江戸にも拠点を築いたのに対して、京都に残った京狩野の祖としても知られる。
永徳のダイナミックさを受け継ぐような構図や筆遣いを感じさせながらも、奥行きのある空間表現に山楽らしさを感じさせる「牡丹図」。展示室を大胆に使った襖絵「牡丹図」全18面公開は圧巻だ。

幅や高さ、引手金具の位置などを改修した痕跡があることから 本来どこか他の御殿を飾っていたものであった可能性もあるそうだが、総長約22メートルにもおよぶ障壁画に大覚寺宸殿の空間の荘厳さを体感できる展示。

“花の寺”とも称される大覚寺。
実際に訪れてみたい気持ちになる展覧会だ。
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東京国立博物館
東京都台東区上野公園13-9
http://www.tnm.jp
公式サイト
https://tsumugu.yomiuri.co.jp/daikakuji2025/
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