白洲次郎と正子が暮らした「武相荘」で、初夏の風に包まれる

武蔵と相模の境にある地にちなみ、また、無愛想という言葉にかけて「武相荘」。ここは、白洲次郎と白洲正子が暮らした場所だ。気に入った家を探し求めていた2人は、農家の屋敷を譲り受け、昭和18(1943)年に鶴川村(町田市)能ヶ谷に移住した。

平成13 (2001)年から公開されている武相荘だが、今年リニューアルオープンしたということで、ぜひ行ってみたいと思い、車で町田へ向かった。季節ごとに変わる企画展は「武相荘の春」(2015.2.24~5.31)を開催中だ。

緑豊かな丘だった鶴川村も、現在では住宅街。だが、旧白洲邸に到着すると、竹林に囲まれた、不思議なくらい長閑な風情がそこにあった。

駐車場からの入口には、土壁に縄で作られた武相荘の文字。その中は、深い竹林の間に作られた散策路だ。

高い高い竹が風に揺れ、サワサワと耳を伝う音が、なんとも心地いい。太い竹に触れると、冷たさとともにしっかりとした大地を感じる。道を歩きながら、「片喰」「山法師」「蕺」「黄花菖蒲」「 大山れんげ」などの旬の草花に出会える。手入れはするが、しすぎない、この空間に、すぐに魅了された。

それは、この場所だけが、大切なものを知り、ずっと大切に持っていたような、特別な趣だった。

門の前には、神戸時代の17歳の次郎さんが乗っていたものと同型の車・ペイジが駐められている。こんな機会はないと思い近づいてみると、おしゃれな木目のハンドルに、オイルの匂いがプーンと漂って、〝オイリーボーイ〟に少しだけ近づいたような気もちになった。

門をくぐると、この度リニューアルしたという、レストラン&カフェ。ここで、白洲家ゆかりのカレーをいただいた。お食事中のお客様のいる吹き抜けの空間を通り抜け、たまたま通されたのは、かつて正子さんが食堂と呼んでいた場所であったようだ。調度品や絵のある落ち着いた部屋。テラスの向こうには新緑と咲き誇る鉄線の棚が見えた。レストランのみの利用もできるようなので、近くに住んでいたなら何度でも来たい魅力的な空間だ。

随分ゆったりと白洲邸のイントロダクションを堪能したのち、ミュージアムとなっている母屋へ。屋根を見上げると、手のかかった茅葺の刈り込みが美しい。館内は撮影はできないとのこと。靴を脱ぎ、中に入ると、一気に暮らしぶりが感じられる世界が広がった。

愛用のソファやグラス、本で埋め尽くされた正子さんの書斎、囲炉裏端には魯山人の器などが並び、奥座敷には着物や福沢諭吉の書…。目を引くモノばかりの母屋だが、そのなかでも、「えっ!すごい」と声を出してしまったものがあった。

「Final」「白洲用」などと鉛筆で書かれ、赤印で「極秘」とされている「憲法改正草案要綱」。『白洲家の日々』(牧山圭男著)によると、 重要な書類はすべて庭で燃やしてしまったという次郎さんだが、これは捨てられなかった書類だと思われ、亡くなった後に娘の桂子さんが金庫の中から見つけたものなのだそう。

このミュージアムには、時代背景やその価値などの教育的な説明は一切ない。白洲次郎さんと白洲正子さんのことをまったく知らない方には、わからないことも多いかもしれない。

母屋から、いつもいつも見える場所にある三重の塔。そこには何の解説もない。だが、もし、いくつかのエッセイを読んでいたなら、武相荘と名付けて大切に暮らしたこの家に、2人の思いを感じることができる。

ここは〝プリンシプルの人〟と呼ばれた白洲次郎と、〝稀代の目利き〟と呼ばれた白洲正子の息づかいが確かに感じられる、プライベート空間なのだ。

ここにあったもの。それは、なくしてしまった何かのような気がした。帰り道にお見送りに出てくれたトカゲ。彼も、なんだか懐かしく、愛おしく感じられたのだから。

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ひんやりとした竹の林の遊歩道
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大山れんげ
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白洲次郎さんが最初に乗ったペイジと同型の車
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近づくとオイルの香りがする
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レストラン&カフェの吹き抜けの空間には2人の姿
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白洲家の味を再現したカレー
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正子さんの好きな鉄線
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ミュージアムとなっている母屋 文化と歴史がつまった品々に驚かされる
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母屋の正面には正子さんが設えたという鎌倉時代の三重の塔 下には次郎さんの遺髪や遺品が埋められているそう
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3月に文庫化された娘の夫・牧山圭男さんのエッセイ 武相荘を訪れる際に楽しくなるエピソードがいっぱい