「桃山時代の狩野派 永徳の後継者たち」(2015.4.7~5.17)の開催にあわせて京都へ。
最大最強の絵師集団!狩野派。
とりわけ私は、天才・探幽のファンである。
この展覧会の第八章となる、最後の展示室に、探幽の「松に孔雀図壁貼付・襖」はあった。
目の前に広がる襖絵に圧倒され、思わず「すごい…!」という声が漏れていた。そして、その部屋の中にいた見知らぬ人に、すごいですねぇ…と話しかけたい衝動を抑えた。
探幽25歳。
徳川家光が改修した二条城二の丸御殿に描いた障壁画だ。
襖というフレームに描かれているのは、超ど級の松と、そこに止まる一羽の孔雀。
いままでの障壁画とは明らかに違った、大胆な構図。しかし、そこには奥深く洗練された静寂がある。
時代、権力、贅…すべてを昇華してたどり着く「芸術」。その要素に「普遍性」があるならば、時を超えてなお感動を与えるそれは、まさに芸術そのものであるように思われた。
江戸狩野の幕開けとなるこの作品は、狩野派宗家の在り方を揺るがす才能の登場として、そして、本展のセンセーショナルなエピローグとして存在していた。
私は探幽ファンなので、ついつい探幽のことばかり語ってしまうのだか、実は、展覧会の本流のテーマは別にある。
室町時代から江戸時代まで、400年にわたり時代の中枢を描き続けた絵師集団・狩野派。
桃山時代の作品は、永徳亡き後、時の天下人である信長、秀吉、家康、そして、朝廷とも、それぞれに関係を築きながら生き残っていく狩野派一門の様子を伝えてくれる。
歴史を浮き彫りにできるほどの、驚くべき文化の量。これこそが、他の都市では決してできないコトができる「京都」の圧倒的な実力なのだと、あらためて思い知る。
展覧会によくある、目玉作品を主軸に構成する手法ではない。きちんとしたテーマに基づき、それを表現するだけの作品が勢ぞろいした「桃山時代の狩野派~永徳の後継者たち~」展は、これを目的に京都を訪れる価値を、十分感じられるものであった。
後日、図録を読んであらためて気付いたことがある。
図録の表紙は折り込みになっており、その表側には、秀吉にその才能を見出された永徳の一番弟子、豪快かつ写実的な独自の画風で名声を博し、江戸時代にも京都に残った《京狩野の始祖》狩野山楽による「唐獅子図屏風」。
裏側には、わずか11歳で家康・秀忠父子に謁見し「永徳の再生」と絶賛され、瀟洒淡麗を旨とする江戸絵画の基調ともなった《江戸狩野の始祖》狩野探幽による「松に孔雀図壁貼付・襖」があった。
表と裏。その分岐点。
読んでから、あらためて手にする図録は、京都という地とそこにあったドラマを、より一層感じさせてくれるのだ。
京都国立博物館 正門
京都国立博物館内 茶室・堪庵のあたり
大徳寺塔頭 龍源院「東滴壺(とうてきこ)」
大徳寺塔頭 興臨院の手水