「鏑木清方 幻の《築地明石町》特別公開」2019.11.1~12.15【東京国立近代美術館】
息をのむほどの美人に出会った気持ちとは、こういうものか。それは装飾とは対極にある、大切なものまでも削ぎ落してしまったかのような美しさ。ただ、その女性の佇まいと表情に目を奪われ、胸をえぐられるような心持ちになる。
44年間所在不明となっていたという幻の《築地明石町》。 作品名となった明石町 は、明治期には外国人居留地であったという。「イギリス巻き」と呼ばれた洋髪をした女性は、後れ毛、着物の柄、下駄の畳表までも精緻に描かれ、その後ろには朝霧にかすむ帆船、足元には洋館の庭の柵があり、時期を少し過ぎた朝顔が咲いている。よく見ると、その朝顔は、咲いている花だけでなく、蕾から、花が咲き、花が落ち、実を付けるまでのすべての姿が描かれている。
《築地明石町》をはじめ《新富町》《浜町河岸》の三部作を5億4000万円で購入し所蔵することとなった東京国立近代美術館。その公開に合わせて、同美術館では現在、所蔵する鏑木清方作品を一挙公開している。
展示作品からは「関東大震災で失われてしまった“明治”を作品に残す」という画家の強い想いが感じられる。作品の中に風情が漂うような《明治風俗十二ヶ月》。この掛け軸を鏑木清方が描いたのは、1935(昭和10)年のこと。また、江戸から明治の人々が暮らす下町の息づかいを感じさせる《鰯》は、1937(昭和12)年の作品だ。つまり、これらは描かれた時点ですでに懐かしいものであり、その目には見えない懐かしさを今に伝えているのだということ。
街や人々の暮らしの中にある情緒。それは、ある日突然失われてしまうものであることを知る経験――。
鏑木清方は、1878(明治11)年東京神田佐久間町生まれ。子供の頃から転居の多かった画家は、作品の舞台近くの木挽町や 浜町にも暮らしたという。1923(大正13)年45歳で関東大震災を経験し、東京大空襲の戦禍で牛込矢来町の自宅を焼失。1946(昭和21)年には鎌倉材木座に移り住んだ時、68歳。1972(昭和47)年に93歳で亡くなった。鎌倉雪の下の旧居跡は、現在、鏑木清方記念美術館になっている。
大切なものを残したいという、画家の想いから生まれるのは、細部に宿る繊細でやわらかな美、そして、ずっと変わらずにある風情。
鏑木清方の世界を堪能できる、東京国立近代美術館ならではのコレクションだ。
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東京国立近代美術館
東京都千代田区北の丸公園3-1
https://www.momat.go.jp/am/exhibition/kiyokata2019/
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