KAN’EI  ELEGANCEの世界へ。サントリー美術館の「寛永の雅」

「寛永の雅 江戸の宮廷文化と遠州・仁清・探幽」2018.2.14~4.8【サントリー美術館】

 

ここでいう「寛永」とは、江戸時代の寛永年間を中心に生まれた「寛永文化」のこと。17世紀初め、政治の中枢は江戸に移っても、文化の中心は依然京であった。戦乱の世が終わり、朝廷や公家衆も「家の道」に務めることで知行を安堵するという構造を組み立てた江戸幕府。後水尾天皇の朝廷をはじめ、京の主要な人物を中心に、公家、武家、僧侶、町衆などの身分を超えた交流が行われ、茶の湯や芸能にも親しんだことから、その美意識はさらに洗練されていったという。

寛永文化人には、今につながる日本文化の主要人物がずらりと登場する。本展では、寛永文化のサロンと、茶の湯、作陶、画業を代表する3人を切り口に、まさにその時代を生きたモノに出会うことから、寛永の美意識を感じることができる。

キャッチフレーズの「きれい、極まる。」を体感させてくれる3人の人物。その1人目は、日本で作られた茶道具に光を当てて名物化し、新たな権威付けを行った“きれい寂び”の立役者である小堀遠州。江戸幕府の作事奉行であり、徳川家光の茶道指南役にもなった人物だ。本展で展示されている、遠州が将軍家光に献茶をした際に用いられた、定家筆「桜ちる文」と「油滴天目茶碗と芙蓉台」「膳所光悦茶碗」の取り合わせの再現は、時空を超えた感動でもある。

2人目は、京都・仁和寺の門前に御室窯を開き、茶人・金森宗和とのかかわりの中から端正な茶道具や優美な色絵陶器などを次々に生み出した、陶工・野々村仁清。色絵の美しさで知られる仁清だが、まさに“モダン”とも感じられる斬新な作品や茶道具の数々を前に、彼の新たな魅力を再発見できるのも楽しい。

そして、3人目が、“端麗瀟洒”な画風をもたらした江戸狩野派の祖・狩野探幽。江戸城から内裏まで当時の重要画事は軒並み手掛け、生涯で数十回も江戸と京を往復した江戸幕府の御用絵師だ。「名古屋城上洛殿上段の間襖絵 帝鑑図」「富士山図」「若衆観楓図」「源氏物語  賢木・澪標図屏風」などの代表的な作品が揃うほか、漢画、風景画、風俗画、やまと絵など多彩な技法を網羅する幅広い作風も見どころだ。

 

体感する美意識によって、その時代を捉える試み。

「KAN’EI  ELEGANCE」の世界に誘われてみたい。

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サントリー美術館
東京都港区赤坂9-7-4
東京ミッドタウン ガレリア3階
https://www.suntory.co.jp/sma/
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