ここに何が見えますか。国立新美術館の「ジャコメッティ展」

「国立新美術館開館10周年 ジャコメッティ展」2017.6.14~9.4【国立新美術館】

 

“見えるものを見える通りに描く(作る)”

そのことに全精魂をかけた20世紀の彫刻家アルベルト・ジャコメッティ。一切の“嘘”を排除して本質に迫る彼の作品を前にすると、意識は自然と自分自身の深部へと向かっていくことに気づく。

彼に見えたものは、これなのだ。決して写実的とは言えない異常に細長い身体、まるで生きているかのような眼光の鋭さと存在感。サルトルの実存主義とも通じ合う表現に出会うことができるのが、国立新美術館で開催されている「ジャコメッティ展」だ。

何か月にもわたって毎日拘束することから、恋人や弟のディエゴ、矢内原伊作など限られた人にしか務まらなかったというジャコメッティのモデル。日本では日本人哲学者・矢内原伊作の記録がいくつかの書籍として出版されており、生々しくも過酷な魂が交錯する創作現場を伝えてくれている。

「うまくいかない」というのが口癖で、本質を捉えることに生涯をかけたジャコメッティ。毎日夜遅くまで仕事に取り組み、仕事を続けたい一心で「早く明日になればよい」と呟いたというエピソードも、彼の並外れた情熱を感じさせるものだ(「見る人 ジャコメッティと矢内原」(みずす書房 1999))。

展示室内で作品に出会い、様々な方向から作品に向かい合うと、自分の中にその答えを探す旅に出たような気持になるだろう。だが、人間は複雑で、作品を前にしてもその本質に迫ることさえ一筋縄ではいかない。

一方、ジャコメッティの動物の作品はどこかチャーミングだ。うなだれて歩く様子にジャコメッティが自分の姿を重ねたという《犬》。写真では分からなかったのだが、実際にその像の前に立つと、深い悲しみに襲われるように感じるのが不思議だ。だが、そのすぐ隣にある《猫》の姿に目を移した途端に、思わず微笑んでしまう。この猫が頭ばかり強調された像になったのは、ジャコメッティが、自分のベッドに向かって真っすぐに歩いてくる猫の姿しか見ていなかったからだというのだ。

一切の虚飾を削ぎ落とした時に、残るものとは何だろうか。

“彫刻とか絵画とか、そんなものはたいしたものではない、試みること、それだけがすべてだ”

生涯をかけて作品を生み出したジャコメッティの言葉が胸に残る。

 

 

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国立新美術館
東京都港区六本木7-22-2
〈ジャコメッティ展公式サイト〉
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