《連載》メトロポリタン美術館の日本美術❶ 狩野山雪〈老梅図襖〉

老梅図襖 Old Plum
狩野山雪 Kano Sansetsu Japanese
江戸時代17世紀 1646

メトロポリタン美術館の日本ギャラリーにおいて、狩野山雪の〈老梅図襖〉は上の画像のように展示されている。まるで京都の寺院のような展示空間。襖本来の姿までも伝える展示室だ。

メトロポリタン美術館の OpenAccessポリシー

世界3大美術館の1つに数えられるアメリカ・ニューヨークのメトロポリタン美術館は、2017年にOpenAccessポリシーを導入し、コレクションのうち375,000点以上のパブリックドメインの作品について「商用および非商用目的を問わず、また、クレジット表記や美術館への確認をすることなくデータのダウンロード、共有、変更、配布をすることができる」と発表した。
他にも、世界のいくつかの有名美術館や図書館において、それぞれ条件は異なるもののパブリックドメイン作品の公開が進んでいる。

作者が著作権を放棄していたり、著作権保護の期間となる作者の死後50年以上が経過した著作物が、パブリックドメイン(公有)。メトロポリタン美術館所蔵の狩野山雪の〈老梅図襖〉も、 パブリックドメイン として、ウェブサイトからオープンアクセスできる作品となっている。

狩野山雪〈老梅図襖〉(メトロポリタン美術館所蔵)

京狩野派の狩野山雪

狩野山雪(1590・天正18―1651・慶安4)は、京狩野派の絵師。肥前に生まれ、狩野山楽の門人になった後、山楽の娘・竹の婿となり、京狩野2代を継いだ人物。
狩野山雪晩年の最高傑作の1つとされる 〈老梅図襖〉は、 かつては妙心寺の塔頭・天祥院の奥襖絵であったが、廃仏毀釈により流出。大蔵大臣や京都の実業家の所蔵を経て、メトロポリタン美術館のコレクションとなった。

まるで爬虫類のようとも、のたうちまわる蟠龍(はんりょう)のようとも表される老梅は、上昇と下降を繰り返しながら、画面の枠を飛び出すほどの迫力で描かれている。
政治の中心が江戸に移った後、狩野派は、瀟洒淡麗と評される狩野探幽を中心とする江戸狩野派と、永徳以来の画風を踏襲する京狩野派に分かれた。
狩野山雪の〈老梅図襖〉は、戦乱と下克上の桃山期の権力者に好まれた狩野永徳の画風を思わせる圧倒的で独特な存在感を持ちながらも、荒々しさが消え、隅々まで精緻で洗練を極めた筆使い。
京狩野ここにあり、といった風格を感じさせる作品だ。

よく見ると、蛇行する太い幹とは対照的に、梅の枝は初春を告げる小さな花をいきいきと咲かせながら上へと延びていき、画面左端には赤い躑躅が花を付けている。
老い行くなかにも生命力が満ち溢れる様を描いたとも言われ、メトロポリタン美術館のウェブサイトは「爬虫類のような老梅は開花し、寒い早春の風情を伝えるとともに、誕生と再生を象徴している」と紹介している。

『本朝画史』をまとめた山雪・永納親子

日本初の本格的な画家伝である『本朝画史』(1691・元禄4年刊行)は、狩野山雪が執筆していた草稿を山雪の没後に、長子・永納が引き継いで刊行したもの。古代以来の400人以上の絵師の伝記をまとめた内容は、日本絵画史における貴重な資料となっている。山雪が残した100人余りの伝記に、永納が300人余りを増補して完成させたとされている。