「これは日本画だ」 急速な西洋化とともに変化を遂げた近代。その大改革の時代を生きながらも、生涯日本画家として生きぬいた下村観山。約150点の作品で生涯の画業をたどる大規模な回顧展からは、一画家の卓越した技術とたゆまぬ努力が浮かび上がってくる。
下村観山は、明治6年紀州徳川家に代々仕えた能楽師の家に生まれた。9歳で狩野芳崖、13歳で橋本雅邦に師事。幼少期にすでに狩野芳崖から北心斎の雅号を与えられており、狩野派ややまと絵の筆法を学んだ後に、第1回生として設立したばかりの東京美術学校に入学、西洋的な実技教育を受けた。
卒業後はすぐに同校の助教授に就任したエリートで、その後、校長の岡倉天心の辞任とともに辞職し、日本美術院の創立に参画した。
本展では、冒頭に展示されている作品「東方朔」がわずか10歳で描いたものと知り、その技術の高さに驚かされる。
また、展示ではその後に国から2年間のロンドン留学、その後にフランス、ドイツ、イタリアへ渡ることを命ぜられた観山が、西洋画の技法を習得していく様子にも触れることができる。イタリア留学中、日本画の画材を用いてラファエロの〈小椅子の聖母〉を模写した作品の美しさには驚くばかり。粉本に倣うことや私淑など、敬意をもって画法を学び、時を超えて継承していく日本画の可能性をも感じさせる。

植物の産毛、支柱の切り口、鳥獣の毛。枝の先レンタルの単眼鏡を覗くと、1mmに満たないほど細く描かれた美しい線を確認できる。大画面にダイナミックに描れた屏風であっても、細部に対して決して手を抜かない画家としての矜持に触れるようだ。
章が進むにつれて、東西の技法がてんこ盛りになっている様子が伺える。写実的に描かれた人や生きもの、遠近感のある構図の絵巻、朦朧体を生かした空間表現……。
さまざまな筆法を素直に習得し確かな技術に裏付けされながらも、西洋に傾倒することのない画風。それは確かに日本画だった。
下村観山は能楽師の家にルーツを持つ人物であり、能の演目を題材にした〈弱法師〉(前期展示)は、国の重要文化財に指定されている。独特の世界観までも表現する下村観山の芸術に浸りたい。

特別展を観た後には、ぜひ同館のコレクション展にも足を運んでみたい。下村観山の作品が横山大観、菱田春草と仲良く並んでいる展示室の様子が、どこか心温まる景色に感じられるはずだ。
